2020.01.22

坂本豊先生を偲んで

 2020年、節目の年が幕を明けました。健やかで喜びに満ちた年になることを願っています。今年もどうぞよろしくお願いします。

 本校の学園長として建学当初より、それ以前の創立準備段階から今日まで旭出学園の教育と福祉にご尽力いただいた坂本豊先生が、昨年末12月18日に永眠されました。98歳でした。厳かに家族葬が執り行われました。最後も苦しむことなく命を全うされたご様子をお聞きし、医師にも「あっぱれです。」との言葉をかけられたそうです。お顔も変わらず穏やかで棺にはお好きだったお花やお菓子が添えられていました。その中に旭出学園創立20周年と書かれた帆船の置物があり、今も旭出学園と共にある先生のお気持ちの表れだと思いました。知的障害を持つ方々の生きる教育と福祉の海原を航海する旭出学園の行き先を見守っていただいているような、「子どもにとって良いと思うことは何でもやってごらんなさい。」と励ましてくれる母のようなお顔でした。

 学園の創立を語るとき、三木安正先生や徳川正子様のご尽力がなくては存在しなかったことでしょうけれども、今日の家庭的な「両親の協力する」学園の校風を維持してこられたのは、坂本先生の力が大きいと思います。米寿のお祝いの頃は、世田谷のご自宅からバスを乗り継いで学園まで通っている姿は、「元気で長生き、生涯現役」、憧れでした。保護者のお話をよく聞き、共に心配されたり、褒めたり、励ましたりされている姿もお手本でした。式場に流れるバイオリン二重奏の旋律を聞きつつ、ご苦労も多かったことも偲ばれましたが、学校で米良さんのコンサートを開いてくださったことや「やってごらんなさい。」の声が思い出されました。

「やってみて、ダメなことは、子どもが教えてくれる。子どもから学んで、やり直せばいい。」子どもを真ん中にした活気ある自由な校風は、この言葉からきているのだと改めて思います。三木先生の言葉を忠実に実践し、伝え続けてくださった坂本先生に見習うべく、私もいただいたこの言葉を恩返しとして伝えていきたいと思います。

 坂本先生、ありがとうございました。安らかにおやすみください。

荒波を 越え行く舟先 初日の出

                      2020.1.8

校内に保管してあった創立20周年の際に作られた帆船の置物